年をとると説教臭くなるのは間違いないと実感

年をとると説教臭くなると気づいた。

このサイトに載せるつもりで、記事を書いていた。

文章を書いていると、いつもそうなるのだけれど、あれもこれもと余計なことをいろいろ思いつく。

本題からどんどんと逸れていってしまう。

脇道にそれて数行書いたところで気づき、その数行だけを切り取って新しいファイルに貼り付け、記事のタイトルになりそうな名前をつけて保存する。

たった一つの記事を書こうと思ったら9個も脇道ファイルができあがってしまった。

そして、本題についてはなかなかゴールまでたどり着かない。

文字通りの散文ということなのだろうけど、始まりと終わりがまったく繋がらず首尾一貫しない。

さて、そうやってできたファイルは「seeds」という名前のディレクトリに大量に保存されているのだが、その一覧を眺めていて気づいた。

説教臭い!

まるで自己啓発本の目次みたいだ。しかも5冊分ぐらいある。

これは酷い。

あぁ、これが年をとるということなのだな。

経験が邪魔をして上から物を言いたがる。

少なくとも自分の時間軸においては間違ってはいないと思うことでも、違う世代の時間軸から見たらトンチンカンなことを申し述べているのだろうな。

そもそも、もし若い頃の自分がこの内容を見ても、表向き「なるほどですねー」とだけ言って真剣に聞かないようなことばかりだし、説教臭いオヤジだなと思うだけだろう。

リアルで同じようなことをやらかしていないか注意しないと。

というわけで、大量のファイルを「trash」というディレクトリに移動した。

でも、ネタ切れのときのために、完全に削除するのはやめておこう。

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