およそ30年ほど前にかなり大きな企業に就職して、そこを5年ほどで退職しその後まぁ色々あって今に至るわけだけれども、今でも入社当時の先輩方や同期と会うことがある。
もう50歳を超えると、会社人としての勝負はあらかたついていて、役員やら執行役員やら「部下のいる」部長やらのラインに残っている人、子会社へ転籍した人やら「部下のいない」スタッフ部長といった具合に人によって明暗がくっきりと出ている。もっともそれは会社人としての明暗なので、人生の成功者かどうかは別の話だが。
新入社員だった頃は、尊敬する先輩方やこいつには絶対に勝てないと感じた同期がかなりの数いて、こういう人たちが偉くなっていくんだろうなと漠然と思っていた。
ところが畏敬していた優秀な人達も、30歳、40歳、50歳と歳を重ねるごとに明暗がついてきて、思うように会社人としては成功できなかった人もいた。あの人がなぜ子会社に転籍させられちゃったんだろうと不思議に思う方が結構いる。
それは、ちょっとだけ運が無かったとか、ほんの少しだけ愛嬌が足りなかったとか、多分そういう原因だと思うのだ。その人達に限っていえば、きっと能力の差で成功できなかったわけでは無い。
おそらく成功は、配属された部署の上司が偉くなったとか、たまたま先輩から担当を引き継いだお客さまの業容が拡大して大きな取引に成長したとか、ゴルフコンペで役員と同じ組になりウマが合ったとか、何かそういう仕事上の能力とは直接的には関係なさそうなことがきっかけだったりするんだろう。
有名企業になると一定水準以上の優秀な人達が集まってくるが、その集団の上位層においての能力的な部分の比較は、なおさら「どんぐりの背比べ」の状態だ。
先輩から好かれるかどうか後輩から慕われるかどうかといった愛嬌がかなり大事だ。
仕事も昇進も結局の所は誰かが決めたり評価したりするのだから、少しだけ他者より能力的に劣っていたとしても、愛嬌があって人から好かれる人のほうが選ばれることがあるのは想像に難くない。
そうなると「誰と仕事を一緒にできたか」とか「誰に好かれるか」ということはかなり重要な問題だ。
地方の支店長に好かれて手放してもらえず本店にもどれないままそれなりの年齢になってしまった同期もいれば、良い取り組みをしていたのに課全体でみると成績があまり良くなかったために十分な評価をもらえなかった同期もいる。
何千人もいる社員の一人一人を、正確に絶対評価することなんてできやしない。結局、名前と顔が一致する人のうちから「誰か」を選ぶ割合が増えてしまうのは致し方ない。
同じような能力を持った人の集まりの中で、たまたま人より運が良かったとか愛嬌があった人が会社人として成功するんだろう。
運が巡ってくるかどうかは人それぞれなんだけど、巡ってきた運は見逃さずにしっかりと掴み取るのも能力のうちで、結局はそれが会社人として成功するための最も大切な能力なのかもしれない。
よほど余人をもって代えがたい能力でもない限り、人には好かれたほうが得だよねと思っている。
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